ポルトクオーレ事務局員の心理学初学者ブログ

臨床心理学総合アカデミア ポルトクオーレ事務局を担当している心理学初心者のブログです。

「夜と霧」を読んで

ヴィクトール・エミール・フランクルの「夜と霧」を読みました。

 

本書はユダヤ人の精神科医・心理学者であるフランクルが、
ナチス強制収容所での経験を心理学的な視点から著した本です。

 

また、以前からポルトクオーレの喜田代表がオススメしていて、
会員の方々は名著解説動画もご覧になったかと思われます。

私も心理学の世界に入ったことですし、
何か本でも読もうと思いこの本に手を伸ばしました。

 

読み始めていくと、目をそむけたくなる惨状が語られていました。
私もナチスが行ってきたユダヤ人に対する迫害、ホロコーストについては歴史で習っていましたが、
やはり実体験で事細かに記述された収容所での惨たらしい扱いを見ているとこちらまで心が滅入って、
何度も途中で読むのをやめてしまいました。

 

私は元々そういった凄惨な内容のものを読むと必要以上に感情が入ってしまう性格で、
例えば公認心理師試験の事例問題でも、虐待、いじめ、過労など、
被害者が酷い目に遭うケースの文章を読んでいると一気に気落ちしてしまいます。
なので、こんなことを書くと読みたくなくなるかもしれませんが、
本書を読み進めるのに相当精神をすり減らしたことを記憶しています。
(他の読者の感想ではあまり見かけないので、私の精神が弱いだけかもしれません)

 

今回伝えたいのは強制収容所での惨状ではないので、
私が特に関心を寄せた筆者の心理学的な考察について3つ、挙げたいと思います。


1つ目アパシー(感情の喪失)についてです。
強制収容所に入れられると人はまずショックを受け、第一段階として苦悩に満ちた情動を経験するそうです。
それが第二段階になると、内面がじわじわと死んでいき、感情の消滅段階へと移行するようです。
例えば、殴られることも何も感じなくなったり、まだ温かい死体に群がって、
上着や靴を取るような心無い行動に出ることもあったようです。


しかしこれは多くの人々にとって精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだったと言います。
ただひたすら生命を維持することに集中した結果、感情が消滅、あるいは鈍麻していく。
人間が社会性を失った動物のようになっていく様子にとても胸が痛みました。


2つ目精神の自由についてです。

フランクルは、人の魂は結局、環境によって支配されてしまうのかと問いかけます。

しかしそこには異議も反論もあるというのです。

 

たとえ強制収容所のような苦しい環境においても、感情の消失を克服し、

あるいは感情の暴走を抑え、自分を見失わなかった人間は確かにいたと。

収容所の点呼場や居住棟のあいだで通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、

なけなしのパンを譲っていた人々がいて、そんな人はたとえほんの一握りだろうと、存在したのだと。

 

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、

たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えないのだとフランクルは強く説きます。

 

自分がどのような精神的存在になるかは内心の決断の結果であり、

典型的な「被収容者」になるか、それでもなお人間として踏みとどまり、己の尊厳を守る人間になるかは自分自身が決めることだと言うのです。

 

とても厳しいように思えますが、いかなる状況下でも私たちにはどのような態度を取るかを決められる自由がある。

これは辛い時ほど希望を見出せる考え方なのではないでしょうか。

 


3つ目生きる希望についてです。

 

収容所では1944年のクリスマスから年明けにかけて死亡者が急増したとあります。
この時期に特に疫病が蔓延したとか、大きな災害があったわけではありません。


その理由は「クリスマスにはきっと解放されるだろう」という淡い期待を抱き、
それを待ち望んでいた人々が、現実にはその日になっても解放されず、
絶望に暮れ、精神的にも肉体的にも衰弱し、死んでしまったということです。

 

彼らはクリスマスの解放を生きる希望としていました。
それはイメージが明確な時には効果があるかもしれませんが、
いざ現実にその可能性が薄れ、実現不可能になると途端に拠り所を無くし、
生きる意味を失ってしまうのです。

 

では何を生きる希望とすればよいのか?

その答えは次の一説に表されています。

 

「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ。」
引用:夜と霧 池田香代子 (翻訳) 

 

これは人生に何を期待するかではなく、人生が私たちに何を期待しているか、と言う180度方向転換した考え方です。

 

私たちは人生に何の意味があるのだろうと問いかけがちです。

そうではなくてむしろ人生が私たちにどうするのかと期待し、問うてきているのだと。

フランクルはそう言います。

 

人生は私たちに様々な問いを投げかけてきます。

その問いは人によって異なり、瞬間ごとに変化する具体的なものです。

だから人生にどんな意味があるのかを一般論で答えることはできません。

 

私たちは人生からの具体的な問いに対して、考え込んだり口先で答えるのではなく、

具体的な行動で答えていくのだと言います。

生きるということは自分に課せられた責務であり、それを全うすることだと。

 

苦しみという課題が与えられているなら、それを運命と受け入れる。

苦しむことは何かを成し遂げることだと。

その苦しみは誰も身代わりになれない、二つとない何かを成し遂げられるたった一度の可能性なのだと。

 

現実離れしているかのように思われるこの考え方は、

実際に生き延びる見込みが皆無だった作者に残された、

たった一つ残された頼みの綱だったといいます。

 

以上、3つの心理学的な考察について感想を述べさせていただきました。

「夜と霧」には他にも感動的なエピソードや深い心理学的考察が含まれています。

きっとあなたの人生に影響を与える名著だということを保証します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。